考え込むのはやめる
もう、これからは、考え込むのはやめます!
今までいろんなことについて考えるように言われて、その通りにどんなことも頭の中で整理したり答えを出そうとしてきた。
だけど、ただ私が馬鹿なのもあって、答えが出ることの方が少なく、考えるというより悩んでばかりいた。
考えてばかりいると、だいたい気分が沈む。
将来のことって、誰にもわからない。
頑張って考えても「予想」しかできなくて、それに自信を持つことは私はできない。
だからいくら「将来」について考えたって、わからなくて不安になる。
結局自分の行動を決めるのは、私が「したいかしたくないか」「なりたいかなりたくないか」「居たいか居たくないか」という気持ちだと思う。
人の気持ちはその人にしかわからない。
その人さえわかっていない時もある。
だから、自分がわからない内に傷つけているかもしれないし、喜ばせているかもしれない。
そんな予想もできないものを勝手にあれこれ悩んで、悲観的になるものじゃない。
もし「傷つけられた」と言われたら心をこめて謝るしかできない。
「嬉しい」と喜んでくれたら、幸せを感じることしかできない。
それで十分なんだ。
「考え込む」のと「悩む」のは同じだ。
ぐるぐる答えのない悩みをただめぐらせて、自分で自分の気持ちを落としている。
そんなことをしていると、この(今生きている)時間が楽しくなくなってしまう。
楽しく生きるにはとまらないこと。
考えて考えてとった行動の先にあるものも、こっちがいいなと感覚で選んだ先にあるものも、誰にも想像できない。
考えて予想できたとしても、近い将来気分が変わるかもしれないし、ほかに興味が出て違う道にいくかもしれない。
だから、悩んで不安でどうしようもなくなってしまうより、ときめいた方に動くこと。
未知に触れようとするときはこわい
今日、散歩がてら、とあるところに初めて行ってみた。
長く急な階段とその向こうに竹林が歩道から見える。
何も看板らしきものはなくて、階段を上った先に神社があるのか家があるのか何もわからない。
階段から転げ落ちるとすぐ道路なので、慎重に一段一段上る。
怖くてやめようかと思った。
廃墟があるかもしれないし(見えないがホラーが苦手)、民家があって不法侵入だと怒られるかもしれない。
自分で上っといて何だが、私は何やってるんだろう...、とちょっと悔やんだ。
なんでもなかった
最後まで上ったが、結局は何もなく、少し歩くと竹林も開け畑が広がっているだけだった。
めちゃくちゃ想像以下だった。笑った。