ありのままを受けとめられるようになりたい。
「ありのままを受け止められる」
これは、私の目標のひとつ。
私の言う「ありのまま」とは、「出来事や物事の事実そのまま」という意味。
私は今これがなかなかできないでいる。
そのせいで、人が怖く感じるし、被害意識も余計に抱いてしまう。
そして自分の気持ちも分からなくなって、暗い感情の波に飲み込まれてく。
私は、人と関わることは、生きていくなかの出来事のほとんどじゃないかと思っている。
だから必要がないのに人を怖いと感じてしまうのは、楽しむチャンスを逃してしまってもったいないことではないのかな?と、最近思いはじめた。
それでも、人は怖くない。
正直に言うと、私はまだここまでいけていない。でも気後れすることではないと思っている。
私が人を怖いと思うときは、その人の言葉がきつく感じられたり、人の言動に敏感になっているときだ。
「怒られた、責められた」と感じて、余計おどおどしてしまう。
でも、何か言われたときに一番注目すべきなのは、その人が発言した言葉そのものである。
また、怒られたと思うことで、その人の次の言葉が(たとえ「おはよう」でも)怖いものに感じられてしまう。
そうなると、自分の中で「この人は怖い人だ」と決め付けてしまい、その人の優しいところや弱いところなど、別の側面が見えなくなってしまう。
これは、いつかこの人と関わっている中で得られたかもしれない喜びや温かみを失うことにつながる。
生活の中にある喜びを拾って生きたい
私がありのままを受け止められるようになりたいのは、そうすることで、人生が喜びにあふれたものになると希望を持っているからだ。
物事や人をありのままで受け止めるには、ラベリングしないこと、先入観、「以前怒られた」など感想をもたないこと、が大切だと思う。
つまり、何も考えないことが、ありのまま受け止めるためのひとつの方法になるんじゃないかと思う。
今まで生きてきて、何も考えないことで褒められたことはなかったが、私は、何も考えない方が温かみを感じると思う。