「キャリアウーマン」コンプレックス、輝きたい。
私は、俗に言う「キャリアウーマン」に憧れていた。
毎朝気持ちよく出勤して、仕事をバリバリこなして、自分に自信を持っている、そんな女性になりたいと。
私は一昨年まで看護学生だった。
実習の毎日で、勉強も経験も少ないから何も分からなくて、現場の看護師さんにも学校の先生にも指摘を受けて、でもそれでも何とか耐えようとしていた。
私は理解が本当にできなくて、毎日提出するレポートも徹夜しても書き終わらなくて、寝る暇というよりも生きている心地のする瞬間がなかった。
そして勉強より、「自分」が分からなくなっていった。
自分が「遠く離れている」、というより、自分が「いなくなった」感じがした。
どうしていいか分からなくなった私は、次の分野の予習や情報収集、分析に手をつけなかった。つけられなかった。頭がとまった感じがした。
新しい分野の実習初日、私は家のパソコンの前から動けなかった。
この分野では、私が実習リーダーをすることになっていて、挨拶や会議でメンバーを引っ張っていかなくちゃいけなかった。
だから実習に行かないと、本当に迷惑がかかる。
でも無理だった。
もともと電話嫌いで、学校に電話も入れられず、昼前に突然学校に行った。
職員室の扉を開け、実習担当の先生を呼び、私は目を合わせられず、
「今朝は本当にすみません、...学校やめます...」
半年の休学を経て、退学した。
休学期間中、いろいろ思った。
私にできることなんて何もない。
実習メンバーには申し訳ないけど、実習を進めているメンバーが羨ましくてたまらなかった。
「やっぱりあの子ダメだったね」なんていわれてるんだろうな、と被害妄想もあった。
もっと私が勉強すれば、もっと私が援助技術を身につけていれば、もっと......
去年の1年間も、同じように「私に努力が足りなかった、追いつこうと勉強も頑張るべきだった」と思っていた。
努力も看護の勉強もできない自分が、ただ悲しくて、つらかった。
でも、最近、ふと思った。
私の道はそっちじゃない。「看護を挫折した非力感」にとどまっている場合じゃない。
私はもっと生きることを楽しみたい。
私が本当に目指しているのは「キャリアウーマン」という肩書きなんかではない。
「好きなことを楽しんでして、輝きまくっている」私だ。
私はただ輝きたい、
生きるパワーに満ち溢れた私でいたい!
ずっとずっと、看護の勉強もその努力もできない自分が嫌でたまらなくて、こんな自分は何もできない、何の役にも立たない、これからどうしていいかも分からないし、生きていけない、そう呪うように思っていたけど、本当は全然そうじゃなかった、違った!
好きなことを楽しんで思いっきり輝くために、私にできないことはひとつもない!
誰かに嫉妬する必要も、何かができなくちゃいけない決まりもない!
ただ私が私の好きなことをするだけ!
あなたもあなたの好きなことをするだけ!!
それぞれがそれぞれに思いっきり輝くだけ!!!
(号泣。笑)
そして大切なことはもうひとつ。
確かに私には看護はちんぷんかんぷんだった。
だけどそれは私が何もできないからではないし、役立たずだからではない。
全くそれとこれは関係ない!!!
すべて完璧なひとはいないし、できないところは他の人に投げればいい。
私は好きなことをひとつでもすればいい、それだけ。
会話を楽しみたい
人と話すとき、私の心はいつもいっぱいいっぱいだった。
コミュニケーションって、人の言動や反応に対して「こういう心境なのかな」と予想をたてて、その予想に沿って私も反応する、といったものだと思う。
この予想から反応のスピードは、速ければ早いほどよしとされているように感じていた。
早くするためには、理解も的確に予想を立てることも早くしなくちゃいけない。
苦しいだけのコミュニケーション。
言葉に詰まったり、理解ができなかったりすると、スムーズな早い反応はできなくなってしまう。
私はスムーズな会話が絶対的によいものだと信じていた。
だけど、実際の私はちゃんと聞き取って理解するということに時間がかかるし、語彙力も多くないので言葉につまることがある。
その理想と自分の差に、どんどんどんどん会話することが辛くて苦しいものだと感じるようになってしまった。
大事なことは言葉以外にある。
コミュニケーションは人と人との間で伝え合う行為だ。
同じ考えや経験の人は一人としていないので、どんな言葉を使っても伝わらないことはある。
そういえば学校で、言葉よりもボディランゲージなど言葉以外のほうが情報が詰まっていると習った。
つまり、言葉に詰まるほうが、伝えたいことが伝わるときがある、ということだ。
逆に会話をスムーズじゃなくそう!
スムーズじゃなくてもいい!と思うと、まず落ち着ける。
すると相手の言葉の理解もしやすくなる。
そして相手の言葉をゆっくり待つことができる。
待っている間に自分の気持ちも整理ができるかもしれない。
こんな風に会話ができるようになると、私もいっぱいいっぱいにならず、相手の言動を曲解して勝手に傷ついたり怒ったりすることも減るんじゃないかなと思った。