saya日々

sayaのブログです。私は私だ~♪ヽ(´▽`)/

にんじん

 

買ったことをうっかり忘れて放置してたにんじんが、芽を出してた。

 

 

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とりあえず水をやって日に当てると、寝てた芽が上向いてきた。

 

めちゃくちゃ芽が生えてて一瞬身構えたけど、にんじん、

すごい生命力だ...

 

このまま様子を見ることにする。

 

私を生きる。

「私を生きる」

 

こう思い始めたのは、最近のこと。

誰かの記事に書いてあったのを見つけた訳でもなく、自然にそう思った。

 

だけどこの頃、いろんなところでこの言葉を見る、目に付く。

目に付くってことは、私のアンテナが「私を生きる」に敏感になってるってことで、「私を生きる」モードにシフトチェンジできつつあるのかな??と嬉しい!

 

 

生きたいように生きる。

私は「私を生きる」とは、今のところこういう意味だと思っている。

「やりたいようにやる」ともほとんど同じだけど、自分が望む生き様も含めてやりたいようにやるという意味で、「生きたいように生きる」。

 

だけど、なかなか気持ちが揺らぐ、ぶれる。

「やっぱ違う」「そんなに燃えない」

と、手さえつけず浮かんだ瞬間にアイデアが消えてく。

いざ行動に移そうとしても、不安になる。やりたい気持ちに自信が持てない。

 

 

自分の心に素直でいることを許す。

自分でも意外だったのが、自分は自分に対して超超超超!理不尽で鬼畜だったってこと。

あんなに理不尽に怒る先生や親をいやがったこともあったのに。

自然に湧き出す、これはしたくないな、こんな服着たいな、歌いたいな・・

いろんな欲求を、「人に笑われる」から「人が不快を感じる」から「浮く」からといった理由でやめた。

全部、基準が本当にそうなのかもどうか分からない私が思う「私以外」にあった。

 

私がやりたいように動くその重要な判断に、「私以外」が入るのは、本当に本当に意味不明なことなんだ!

 

でも、その「私以外」に判断を委ねているのも「私自身」。

つまり私が動けないようにガッチガチに縛っていた、私を。

......鬼畜だ!!

 

だから許すも何もないんだけど、生きたいように生きるには、その縄を解かなきゃなんだ。

 

(どこかの記事で「努力なんてしなくていい」という名言も見たんだけど、どなたの記事か思い出せない!思い出したいのに......) 

 

 もっと自分の心に素直になる。

とは言っても、今まで全く自分の心に耳を傾けなかったものだから、ひょいっとでてきた「気持ち、欲求」にすぐ圧力をかけて潰そうとしてしまう。

キャッチする瞬発力もあんまりない。

 だけどやめる訳にもいかない。だって私は私を生きたい!

 

だから私が考えたのは、ひとつひとつ湧き上がる私の「気持ち」に対して、「すぐ反応しようとする」「決して馬鹿にしない」「熱は激しくなくともまず行動に移す」「行動のあと後悔せず、やった自分を褒め称える」ということ。

 

これで素直になれるかどうかわかんない。

でも今の私で思い浮かんだのがこれだったから、「まず行動に移して」みる!

 

いつ私を思いっきり生きれるようになるかは分からないけど、結果は乞うご期待です(^0^)

 

安心したくて、言葉を当てはめようとする。

誰かが誰かの悪口を言うときだけじゃなく、たとえば「あの人はすぐ怒る人」など、人にレッテルを貼ってしまうシーンはよく耳や目にするし、経験もある。

 

以前の記事で「未知の物は怖い」と言ったが、人にはいろんな側面があり、すべて理解することもできないため、人は「未知という意味で」怖い。

その怖さから目をそらし安心するために、言葉で言い表すことなんかできない「人」に、レッテルを貼ってしまう。

 

でも「レッテル」、というか私にとってのその人の「印象」は、私だけのものであって、なんなら、私がそう思いたくて(そう落とし込むことで安心したくて)あるものだと思っている。

 

つまりレッテルに意味はない。

大切にする価値もない。

 

ただ私が安心したいがために、この人はこういう人だと決め付けている。

 

・・・

 

そんなのいやだ、

人の素敵な側面がまったく見えなくなっちゃうのはいや。

 

ひとつでも多くの喜びを拾えますように。