山口智子さんのインタビュー記事を読んで感じたこと、好きなことの明確化。
山口智子さん。
『ロングバケーション』など様々なドラマに出演した女優さん。
有名らしいが、私はテレビをあまり見る習慣がないため、どんな方か存じ上げていなかった。
だけどネットサーフィンの途中、たまたまこのタイトルに惹かれて読んでみた。
今私が考えてることに近い内容で、とても驚いて、3ページもあるのに読み込んでしまった。
所謂「寿命」まで、50年以上ある。
私は今22歳だ。
厚生労働省の発表によると、日本人女性の健康寿命は74.21歳(2013年)、平均寿命は86.83歳(2014年)。
つまり、この世からいなくなるまで50年以上あるということだ。
山口さんは インタビューのなかで、
私自身の人生は、これから先もずっとずっと続いていくのだから、自分が何に興味を持って、何を学びたいかを明確にして、自分自身で合点がいくことをしてみたいと思ったんですね。
とおっしゃっている。
「自分の好きなことを明確にし、それを納得のいくかたちでやりたい。」
ということかな?と私は解釈した。
50年が長いか短いかは人それぞれだと思うし、今の私にはまだ分からない。
だけど、どの瞬間にも、私は好きなことをしていたい。
そのためには、何が好きか明らかにする必要がある。
何が好きか、きゅんとするか、楽しくなるか、分かってないと、好きなことをすることができないもんね。
これは、すこしでも「いいな」と思ったことに反応することで、明らかになっていくのではないかと思う。
そして「納得のいくかたちで」好きなことをする。
手段とか形式とか、姿勢とか、そういうことなのかな?
んー、まだ保留。
宿題にしよう。
生き方に王道はない。
人生において大事なのは、自分のスタイルを見つけることだと思います。結婚も、 “人それぞれ” の形があると思う。人を真似する必要はない。私はもちろん、世界で一番幸せだと思って生きてます。すっごく幸せです(笑)!
この言葉は、山口さんが、「結婚はオススメか?」の問いに答えたもの。
なんにでもいろーんな方法がある。
算数に公式があるように、すぐ答え(成果)の出るもの。
なぜか人口の多い「王道」な方法。
そのほか......(笑)
みんな王道で同じ方法でやってるように見えて、細かいところは全くちがかったりする。
マジョリティ(多数派)、マイノリティ(少数派)、......どっちが多いかでこんな言葉で分けられてるけど、別にどっちを選んだっていい。
もはや選ばなくていい。
在るもの、今見えてるものから選ぼうとするから、自分に合うものが見つからなくて苦しくなる。
新しい道を、方法を、スタイルを、自分で作ればいい。
自分で道を作って歩いているときこそ、めちゃくちゃ楽しいんだろうなぁ。
前例のないことだらけで、先が見えなくて、いちいち壁にぶつかって、その度に自分自身とも向き合って、......って感じなのかな??
楽しそう!!!
どう老いるか?
と言いつつ、「昨日生まれたばかり!人生訳わかんねぇ!」と日々思っている私なので、「どう老いるか?」よりも「どう生きるか?」の方がしっくりくる。
山口さんいわく、
醜く老いたくない。やっぱり、知恵や話術を磨いて世の中の役に立って、大人として若い人から憧れられるバアさんになりたい(笑)。年のとり方って、人における最大の課題だと思います。老いに対しては、喜んで挑んでいきたいですね。
まだまだ見なきゃいけないこと、学ばなきゃいけないことが山積みで、人生楽しくてしょうがない。人間、常にちゃんと勝負していれば、老化なんてしないと思う。憧れられる大人になることは、大人の責任。カッコいい大人が増えないと、若者がついてこないでしょ?
でも、美しく老いるためには、見えない努力が必要。心身の健康を自分で律して、チャレンジ精神や向上心を持ち続けること。女性としての可愛さやお洒落も忘れず、美しいオーラを放てる人間を目指したいです 。
だそうだ。
山口さんはそんな風に老いたいそうだが、私はどうなんだろう......?
私にとって「老いる」=「生きる」なので、「どう老いたいか」=「今どう生きていたいか」に変換される。
つまり、この「どう老いるか」という問いは、自分の好きなことを具体的に問うものであり、またひとつ宿題が増えた......
【参考】
※厚生労働省HP http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life14/dl/life14-02.pdf
※ダイヤモンドオンライン 男性71.19歳、女性74.21歳。「健康寿命」を伸ばすにはどうすればいいか|出口治明の提言:日本の優先順位|ダイヤモンド・オンライン
したいことが分からない。
私のしたいこと、したい仕事ってなんだろう。
求人誌の中には、したいどころか「できそう」な仕事もない。
引っ越してきたばかりで親戚も知り合いもいないこの土地で生きていくためには、割と早くお金がほしい。
「したい仕事......、したい仕事......」
求人誌や求人サイトの次ページにどれだけ進んでも、これなら!というのがなくて、気分が沈む。
「もう求人誌見たくない!
でも働かないと~~(;;)泣」
このダブルバインドで、私が好きなことが何か余計に訳が分からなくなってきた。
私は輝きたい。
でも私は輝きたいと思ってることだけは分かってる。
そして毎日の小さな選択(今朝は何を食べたいかとか)では、「したいこと」は分かる。分かるようになってきた。
焦ってるのかな?
たぶん、私は焦ってるんだと思う。
輝きまくってる人が身の回りやネットの向こうにいーっぱいいて、だけど私は家でごろごろしてる。(ごろごろ最高!)
「だけど今何かしたい!動きたい!」
行き場のないこの気持ちが身体中を暴れまくってる感じ。
やるべきことはやるべきタイミングでやってくる、の考え。
私は今のところ22年しか生きていないし、意識を持って生きているのも数年くらいかもしれない。
だから「タイミングを待て」と偉そうにひとには言えないけど、今までを振り返って自分自身に言うことは、自信を持ってできる。
何かを掴み取ろうとして掴み取れたことは一度もない、一度も。
だけど、ただ生きていたら、何かが進んだり変わったりしたことはある。
つまり、やるべきことやなるべき状態は、もしかしたら気づかないうちにやってきて、気がついたらそうなってる(やってる)ものだと思う。
いいなと思うことの中でできることをやる。
「したい!」ほどの熱はなくても、「いいな」と感じることはある。
全然その仕事ができなくてもいい。
いろいろ悩むのは壁にぶち当たってからでいい。
だからとりあえずできることをやろうと思うんだ。
そしていつか振り返ったときに「したいことをやってた」って気がつくのかもしれない。
めちゃくちゃしたいことなんて、はっきりとわかんなくていい!
今に集中~っ(^0^)
迷っている私へ、大丈夫だよ。
私は、身体や心の調子が悪い時、もう何も考えられなくなる。
目の前に見える世界はもちろん、心の中も分厚い雲に覆われて、すべてが灰色で、「生き続けることは大変すぎて、つらさを感じ続けるなら、早く死んだ方ましだ、それが最善策だ」としか思えなくなる。
さらに、いろんな心配事、人々の目、通例、常識、当たり前のこと、たくさんの悩みで頭がいっぱいになる。
だけど、「すべての考え事を一度手放して」、今まで生きてきた過去の私をただ抱き締めてあげてほしい。
よく生きたね。
どんな考えの私も、すべて等しく私だ。
どんな私も今の私の細胞のひとつ。
すべての私が集まって今の私になる。
それが私を認めるということ、私を生きるということ。
ダメとか良いとかそんな判断はいらない。
ゴミ箱にすてなきゃいけない私はいない。全部要る。
ただ、これだけをすれば、私はもう十分なんだよ。
「すべての私を受け入れて、そのままに生きる。私そのものとして生きる」
私は私として生きることを誓おう。
すべての選択を自分によって決めると誓おう。
うまくいくかどうか、食えるかどうかを考えることは、無駄であり、進む邪魔になる。
わくわくする方に向かってただ進もう。
私はいつだって私だ。
どこにいても私は私。
私が私を保てない時があるかもしれない。
だけどいつだって私の生き様を見守ってくれている人はいる、私が気づいていないだけで。
そのひとは優しく、愛を持って見守ってくれている。
どこかに私を見守ってくれている人がいる、それだけで生きる理由になるんだ。